だからなんだって話

先月の末から新しい仕事を始めた。以前やっていた仕事は事業所が閉鎖するのに伴って辞めることになって、三ヶ月ほど無職だった。無職の頃は早く仕事を見つけないといけないというのでかなり焦っていたし、書類選考に落ち面接に落ちあるところではセクハラまがいの質問を受け、疲弊しきったところにようやく引っかかったのが今の職場だ。諸事情あって近いうちに家を出ようと考えていたため、なんとか一人暮らしできるだけの所得を得られるという基準をクリアしたのが今の職場なので、なんとか食らいついて頑張らねばいけないのだが、何せ仕事を覚えるのに精一杯で、毎日帰りは落ち込みながら長い長い電車に揺られて田舎に帰る。すぐに引っ越すお金はないのでしばらくは実家から時間をかけて通うことになっている。

これら、全て自分の責任であるにもかかわらずに既に逃げ出したくなっている自分が本当に情けない。バカじゃねーのか。お前マジでクソだな。

とは言いつつ口では「大丈夫、できる」と小声で呟きながら会社に向かう。時々、トイレに行って業務フロアに戻る途中の廊下でも呟く。休憩時間は明石国行さんとわたしのCP絵を見てツイッターを巡回して現実逃避する。現実をなんとかするために働いてるのに現実逃避しないと働けない甘ったれた精神にも嫌になる。

それでもとりあえず頑張る。今の仕事が軌道に乗って、家を出て一人で暮らして、その先のことは何も決めていないけれどとりあえず頑張る。情けないけれど今やれることをやるだけで精一杯だ。夢豚はやらなきゃいけないことではないがやらなきゃ生きていけない(キモ…)

みんな当たり前にやっていることを今から始めるので恥ずかしいし、だからなんだよってこれを読んだ人も思うだろう。社会人だから働いて当たり前。実家を出て独立したい?当たり前だろって唾を吐かれるかもしれない。わかる。この程度で心が折れそうな自分マジで甘ったれすぎて情けないと思う。何が言いたいのかもうわからないのでそろそろ締める。

入社日の夜、会社を出たときの月は欠けていた。(三日月でいいのかアレ わからんけど)毎日会社を出ると月は日ごとに満ちている。わたしはちゃんと成長できるんだろうか。

以上、だからなんだって話でした。

 

遺言をかく人

はてなブログから「一ヶ月更新がありません。更新しましょう」的なメールが来ていたので更新します。いや、もっとこまめに書くことがあればいいんですけど、「○○行きました!」「○○食べました!」とかはインスタでやってるし、日々のぼやきは脳からツイッターに直通なのでここに書くことってそんなにないんですよね。なのでツイッターでもちょろっと言った話について今回は書いてみようと思います。

 

わたしは基本どこにいくにも一人なので、お店に行っても店員さんと必要最低限の会話しかしないことなんてザラにあります。しかし、自分が一人でいるからか他のお客さんが気になってチラチラ見ちゃったりするんですね。今まで通報されたことがないのが奇跡だな…。それはさておき、先日スーパーのお菓子売り場で子どもが号泣しているところに遭遇しました。どうしたんだろう、とは思ったものの「たぶんお菓子買ってもらえなくて駄々こねてるかお母さんに怒られて泣いてるんだろうな」とそのままレジを通り過ぎて、家までの道でその子のことを考えて、「自分にもあんな時代があったなあ」と思い懐かしくなりました。今は泣くほどではないけど朝布団から出るのに死ぬほど勇気のいる社会の渦の中で生きているけれど、あの子にとってはスーパーのお菓子売り場が悲劇の舞台なんだよな。年齢によって悲しいことは流動していくんだなあと思いました。

そして今日、仕事の合間に本屋に立ち寄ったとき、目の前にいたご老人が店員さんに声をかけているのを見ました。「遺言書の書き方の本を探してるんやけど…」と尋ねているのが聞こえました。店員さんがそのお客さんに売り場を案内しているのを、わたしは本を選びながら聞いていました。なんていうか、このご老人が案内されて遠くに歩いていくのを見ながら、先日のスーパーでの子どものことを思い出しました。わたしも小さい頃はあの子のように駄々をこねて泣いていたけれど、いつかはさっきの人のように、遺言のことを考えなきゃいけない日が来るんだよな。と思い、そのご老人に自分の将来を見たような気になりました。

まあ、だからなんなんだって話なんですけど、こういうだからなんなんだって話をこまめに書いていきたいなって思うんだけどきっとまたはてなブログに急かされて来月更新するような気がします。

 

こころとあたま

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昨日、久々にお店の取材でお邪魔した喫茶店のマスターの話がとても身につまされるものだったので記しておこうと思った。てかブログの更新頻度の低さ…。これもまたわたしの感性の鈍りが引き起こしているのだと思う。

 

なんだったか忘れたんだけど話の流れでわたしが「なんか休みの日は引きこもりがちでなかなか外に出られなくて…。気になるお店とか行きたいイベントがあってもなかなか足が伸びなかったり気付いたら終わってたり」って話をしたんだと思うけど、その時にマスターが話した「なんとなく気になってるっていう心の動きを頭が思考して止めちゃってるんじゃないかな。例えば気になるお店があるなら行ってみて、それで自分が気にいるかどうかわからないけど、そういうのを重ねていって自分の直感を磨く行動が大事だと思う」って言葉が何をするのにも二の足を踏む、自分の思いがないわたしにはものすごく刺さった。今月下旬にこのお店を掲載した号が出るので、その頃またお店に行くんだけど、次行けるのが今から楽しみだ。磨いたわたしの直感、感性がどんなもんなのかまだわからないけど、とりあえずお店に置いてあった大量のフライヤーの中から気になるものをたくさん持ち帰った。

美しきその刃

金曜日に、なんとかスケジュールが空いたのでふくやま美術館の『阿部家ゆかりの日本刀 小松コレクションと五箇伝の名刀』展に行ってきました。

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見てくださいこの浮かれ具合!ほぼ諦めてたので行けて本当にうれしかったんですね!痛いね!

刀に関しては本当に何もわからないオタクなのでただただ説明文を読んでは「ほえ〜わからん」状態でしたが初めの一振り目から本当にめちゃくちゃ綺麗でかっこよくて何もわからなくて厨二心が疼いてひたすら魅入ってました。厨二だから武器が好きなんですね。関係ないけど銃とかも興味あります。本当に刀わからないので刃紋がどうとか〜みたいな話はできないんですが一番のお目当ての明石国行はもうめっっっっっちゃかっこよくて、かっこいいなんてもんじゃなくてもう神々しくて思わず両手を合わせて拝んでしまいました。あのすらっとしたというか、しなやかな身体つきは刀身から来てるんですね。うわなんか文章が気持ち悪くなってきたぞ…。あのめちゃくちゃ繊細な浮彫りが本当に美しくて、京都は二条城の欄間を見たときのような感覚というか、遥か昔の芸術品から得る繊細な美しさというものを眼前に突きつけられてまさに言葉にならない感じでした。言葉にならない圧倒的な美しさの前に屈服したと言っても過言ではない。だからこそ手を合わせてしまったんだと思います。なんか本当に気持ち悪い文章だな。熱量がちょっと気持ち悪い方向に働いている。自覚はあるので大目に見てください。あと和睦さんこと江雪左文字の前でもうちの本丸に来てくださるように念を送りました。あと印象に残っているのは石田正宗です。鞘も展示されていたようないなかったようなでそこはもう記憶が曖昧なんですけど、実戦で使われたことのある刀で、受け傷があって欠けてる?んですよ。めちゃくちゃかっこよくないですか?映画やアニメとかで見る剣劇が劇じゃなく本当に刀を振るって戦ったんだ…と思うと高まりました。厨二なので。

本当に生で本物の刀を見たのはたぶん小学生ぐらいのときに霊山歴史館で見た龍馬を斬った刀だと思うんですけど、うちの初期刀は陸奥守吉行なのでそれを思うとなんという因果…二次創作のネタになりそう…。それはそうとして、刀剣乱舞にハマってから初めて刀を見に行きましたがすごく楽しかったので他の刀も見に行きたいなと思いました。アレ?作文?

二十四歳

 なってました。24歳。気分的にはまだ二十歳そこそこな感じでいるのにもう24歳。時の流れは残酷です。もっと自分のためにいろいろ頑張らないとあとで困るのになんにも頑張れてねえよ。どうしよう。この歳になっても自分のことが一番わからないしままならない。今までふわふわした感じで生きてきて(今も十分ふわふわ生きてますが)ツケが回ってきたのかもしれない、と思うような節もあり、今年からはもっと堅実に、でももっと好き勝手にやってみたいなあと思います。

 とりあえず近況はというと、オタク楽しすぎる。お金はどんどん飛んでくけど本当に楽しい。もっと健康に気を遣ってもっと稼げるようになってもっと面白いものをいっぱい見たいし自分も何かを作れたらいいな~とか思ったりしてるんだけど、結局だらだらしそう。

 ちなみにパソコンでブログ更新してみたけどめっちゃ書きやすいね。